この記事は、なろう系への抵抗感がぬぐえない私とそっくりな君に捧げるリゼロのダイレクトマーケティングです。
まてまて〜(っ^ω^)っ( ‘o’)ウ、ウワアアァヤメロオオォ
異世界転生もの、または小説家になろうサイトに掲載されていることが多いことから「なろう系」とも呼ばれるジャンルが私は苦手だった。理由は大きく二つある。
まず一つ、世の中の空気感と私の間にあるらしい温度差。
数年前にネット上で誰かが「なぜこんなになろう系小説がヒットしているか」についてブログで考察したものを読んだことがある。その記事ではこう述べられていた。うろ覚えだけど確かこんな感じ。
・なろう系小説における執筆者側の利点
①現実世界モノはネタが出尽くした。その道で食べてる小説家は未だに真新しい何かを見出して執筆できても、「小説書いてみようかな」くらいノリの人にとってそれは往々にして大きい壁となり立ちはだかる。なにか斬新な設定を練る必要がある。しかしそんな都合のいい設定なんて閃く能力があるならとっくに現実世界モノで執筆開始できている。それができないからこうして打開策を考えているのに!そこで「異世界」。今でこそ流行りすぎて一つのジャンルとなったが、当時は異世界というだけで存在が斬新。お手軽かつ革新的。ローリスクハイリターン、書き手の間で流行らないわけがない。
②異世界という全く新しい別の世界について、現実に存在する社会システムや常識を一切合切無視して描写を一から始めることができるので有識者からの批判が入りにくい
→専門知識を持ってなくても臆せずに書ける。単純に書く人が増える
・読者側の利点
現実世界モノが飽和状態へ向かうのに伴い、読書を重ねるなかで読者層の平均的な知識量が増加し、精度が相当高い小説しか心地よく読めなくなったと思われる。それに加えSNSが普及し、専門知識にアクセスしやすくなった。違和感を一度でも抱いてしまえばもう続きは読めない。その点「なろう系」は少なくとも世界設定についてのツッコミはされにくいので、難しいことは考えずに読める。読み手の間でも流行らないわけがない。
といった書き手と読み手の需要が合致した結果の産物なんだそうだ。
話は頷けるところも多いが、当時の私はどうしても納得できなかった。
現実世界を描いた作品もまだまだ面白いものがあるはずなんだ。飽和状態なんて誰が決めたんだ。なんだてめえら読む側も書く側も思考を放棄しやがって。ふざけんな。要は「現実の専門知識ないので難しいこと書けない」に対し妥協した結果じゃねえか。てめえらの創作への熱意に妥協は許されていいのか?!なんて「なろう系は所詮書籍で出てる小説の下位互換」くらいまで嘗めてかかっていた気がする。これは現実世界を描いた小説も好きな自分の歪んだプライド半分、「編集者や出版社も通さず一人だけで描く世界には限界があるんじゃないだろうか」といった社会人老婆心半分、といったところ。(今はそれが必ずしも真理でないことがわかる、というか本当は心のどこかで知っていたんだと思う。なぜなら「なろう系」と「一般的な小説」の関係は「フリーゲーム」と「企業が出しているゲーム」の関係性に限りなく近いからである。ゲームでならわかる。フリーも企業も大好き。下位互換とか上位互換とかそういう次元の話ではなく、それぞれの良さがある。なろう系もフリーゲームも、一人で作れるので、編集者・スポンサーの意見や、売り上げを意識しての読者・プレイヤーへの歩み寄り・・・などと言った大人の事情を全く気にせずに自分の創作へ熱意だけを込めることができるので、好きな人は好き、といったコアな作品を作りやすい土台になっている)
理由二個目。
私はフィクション、特にファンタジーが好きだ。私は架空を架空のまま楽しむのが好きであり、現実でエネルギーを摩耗したときはその架空の世界で架空の景色を見て、架空の感動する話に触れて心を動かして。そうしているうちに現実で具体的に何を悩んでいたかがあやふやになる、まるでぬるい水の中をぼんやり漂うかのような、あの瞬間が好きなのだ。数分後は深呼吸して「明日も頑張ろう」なんて思わせてくれる精神の避暑地みたいなもん。フィクションを「現実逃避の手段」として使うなら、そのフィクションは現実とは絶対に違う、と思わせてくれる相違点が必要だと思う。二つの世界を行き来する足掛かりのようなものである。上手に架空の世界まで思考を持って行けなかったら、休憩しに行ったはずの場所で現実の自分を無防備に自覚なんかしてしまったら。明日の私は誰がやるんだ。それを自覚した瞬間に脳みそはエラーを起こし、急に現実に戻りたくなる。強制帰還である。防衛本能ともいえるかもしれない。虚構は虚構だから良いのであって、お互いにそこの境界線を踏み越えてはならないと思う。じゃないと報われない現実が悲しいだけじゃないか。
ところがどっこい、なろう系の典型的なパターンを論うと以下の通り。
現世では何の取柄もない、あるいは落ちこぼれの人間が、ある日突然何の脈絡もなく異世界に瞬間移動してしまい、最初こそ戸惑うものの、現地はなぜか中世ヨーロッパほどの文明発達度であることが多く、現代での医学的・科学的「一般知識」、異世界の住人にとっては世紀の大発見、を披露するだけで救世主・英雄扱いされ、何の苦労もなくその世界で成功する。
要は社会人全員が一度はやったことがあるであろう「ベッドに寝転がっている時に明日のこと考えたくなくてなんとなく始めた妄想」をそのまま文章化してしまったような設定のもの、つまり似たような経験がある人は読んでる途中でムズムズしてしまうものが多い。最もこの場合、しばらくして「明日も早いんだし寝よう」とかなんとかで早々に切り上げてこの都合の良い冒険は終わりを迎えるわけだが。そう、寝るべきなんだよ、痛い妄想は続きを書くもんじゃない。明日は起きて現実に立ち向かわなきゃならないんだ。なんでそれを小説読んでる時にまで思い出さなきゃならないんだよ。
異世界は境界線を忘れて日常的に入りびたるところじゃない。私がミヒャエルエンデのことを崇拝しすぎかもしれないけれど。フィクションにハマればハマるほど、現実の自分が何なのかわからなくなった「はてしない物語」の主人公BBブックスと同じ轍を踏みそうで本能的な危機感とも言えるんだろうか。
それにしても。自分は特に大した努力もせずに、何も変わらずに、周りの環境だけが変わって、異世界の他人相手に一般常識を教えるだけで救世主扱い?そんなのずるいじゃん。私らが今やってる努力は何なんだよ。クソみたいじゃん。
そんなのキツイじゃん。現実見たくなくて逃げてんのに中途半端に現実を見せてくるんじゃねえ。
そんなわけであれがアニメ化した、これが書籍化した、とか知りはしつつもそこには踏み入れないままだった。自分のファンタジーに対するファンタジーを壊されたくなかったんだと思う。
ここまで前座やで。よく読んだな。ここからやで。
Re:ゼロから始める異世界生活、またの名をリゼロ。
絵面だけ見ると際どいメイド服きたメカクレ双子と白い髪の正統派ヒロインぽい女の子に囲まれてヘラヘラしてるだけの主人公に見えるかもしれない。実際私もそう思ってたし。
アニメ配信サイトにあったから軽い気持ちで見出した。ラノベの英訳ってどうなるんかなっていう好奇心で。そう。本編にはつゆほども興味なかった。興味ない分英語に集中できるかなと思った。あとはメイド服の女の子の見た目は好みだし胸でかいしなんか多少サービスシーンとかないのかな。ないか。っていう下心も2割くらいあった。
そんな考えは序盤の3話くらいで叩き潰された。全然ハーレムしない。やべえこのアニメ。平和なのはキャラデザだけだ。
前述した異世界あるある、一つしか当てはまってねえ。文明発達度が中世ヨーロッパくらい。以上。そこには疫病が流行って主人公のワクチンに関する知識が役立つことも、飢饉に耐えうる植物を開発することもなく、当たり前の知識を共有するだけで爵位を与えられるようなぬるい世界ではなかった。
物語1話、主人公スバルは転生したその日に少し喋っただけの女の子が知らない誰かに殺される。その現場にいただけで口封じとして彼も殺され、目を覚ましたら転生した直後の時間のその場所に立っていた。高校三年生引きこもり、趣味が筋トレで多少運動神経は良くても魔法やモンスターが当たり前にいる世界ではなんの役にも立たず。記憶の中での数分前、ナイフではらわたを裂かれ死んだはずの少年が持っていた唯一の能力、それは死に戻りだった。
アニメを見てるうちに少しずつその死に戻りの条件が明らかにされていくわけだが、ざっくりまとめるとこう。
・死んだら一定時間前まで死ぬまでに体験した記憶とともに意識のみ遡る。どれくらい遡行するかは一度死に戻るまでわからない。
・他殺や自殺といった手段は問わず、死ぬことが条件。死にきってから初めて発動するので、毎回「死に対する本能的な恐怖」を乗り越えたうえで「文字通り死ぬほどの激痛」をきっちり味わう必要がある。
・どれくらい前に遡行するかの指定ができない。また、死に戻った直後にもういちど死んでもリスポーン地点は変わらない。つまりオカリンや綯のように電話レンジで時間指定することも、タイムリープを重ねて長時間遡るみたいなこともできない。味わう苦痛の割に使い勝手悪すぎる。
・また、時間が経つにつれ/何かの条件を満たしたらリスポーン地点が勝手に更新される模様。それを本人は認知することができないので、一度死に戻って初めて知ることになる。いわゆるオートセーブ式。つまり何かに手遅れの状態で更新されてしまった場合は死に戻りをもってしてもどうしようもない。
・死に戻りの能力を持つものは人の嫌悪感や警戒心を本能的に煽る「魔女の残り香」という魔女エキドナと同じ匂い(この世界で魔女エキドナは怪物を生み出した人から忌み嫌われる存在である)をなぜか纏うため、初対面の人からは「魔女の匂いがする」と本能的に信用されず、下手すると憎まれ、愛想良く接していても「魔女の回し者なのでは」と疑われ、命を狙われる原因になりかねない。怪物からは追いかけ回される。
・死に戻りの細かい条件ははっきりわかっていないので、仮に死に戻れる回数に上限があり、それを超えてしまった場合は、もう死に戻れず、犬死にするだけの可能性もある(物語の展開的にはなさそうでも、少なくともスバルはそれを理解・覚悟した上で死に戻る必要がある)
なんだこれ。全然チートじゃないじゃん。シュタゲのハードモードか?こんな辛すぎる世界、死んだ方がマシなんじゃないのかな、皮肉ではなく本心で。
それと、こんだけエグい世界観なのに主人公のスバルが内面も一般的な人間そのまま等身大ですごくいい。好きな女の子を助けるためだけに奔走したり、たまに心が折れたり、死ぬはずの未来を変えたい女の子当人に励まされて気持ちを新たに持ち直したり。そんなことができる自分に悦を感じ、また同時にそれ以外には才能も技術も何もないという劣等感から「一度命を助けてあげた」なんて醜いプライドにずっと縋り付こうとしたり。
なんだこれ。全然チートじゃないじゃん。シュタゲのハードモードか?こんな辛すぎる世界、死んだ方がマシなんじゃないのかな、皮肉ではなく本心で。
そしてここで「一般人」という設定が生きてくる。スバルは軍事経験もなければ、天才的な頭脳を持つわけでもない。武器は何回でも死に戻れるその身体ひとつだけ。その一点以外はただの高校生に過ぎない。人を助けるためなら死んでもいいなんて、死の苦痛を数え切れないほどその記憶に刻みながらもそんなん言ってのける一般人、カッコ良すぎるじゃん!!!!!
それと、こんだけエグい世界観なのに主人公のスバルが内面も一般的な人間そのまま等身大ですごくいい。好きな女の子を助けるためだけに奔走したり、たまに心が折れたり、死ぬはずの未来を変えたい女の子当人に励まされて気持ちを新たに持ち直したり。そんなことができる自分に悦を感じ、また同時にそれ以外には才能も技術も何もないという劣等感から「一度命を助けてあげた」なんて醜いプライドにずっと縋り付こうとしたり。
これがハマったきっかけ、珍しく現実よりも辛い異世界の話。全然日常ラブコメハーレムものじゃなかった。女の子を助けたからといってあとは全てうまくいくわけでもない。ヒューマンドラマだった。
最初は敵しかいなかったのに少しずつ仲間も増えて、守りたいものも増えて
少しずつだけど成長していく
そんな一期だった。いい最終回だった。
最初は敵しかいなかったのに少しずつ仲間も増えて、守りたいものも増えて
少しずつだけど成長していく
そんな一期だった。いい最終回だった。
二期は少し成長したスバルが周りに少しずつ影響を与えて、周りの人物たちが今度は変わっていく話・・・だったのかな。エミリアの成長っぷりが本当に良かった。
三期はどうなるんだろうね、まだ制作決定さえしてないけど、、絶対見るよ。
とにかく、私と同じ理由で「異世界転生もの」そのものを丸ごと避けていた人がもしこの記事を見ているなら、リゼロだけは少し毛色が違うからおすすめ、とだけ書いておきます。
スポンサーサイト