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この記事は、なろう系への抵抗感がぬぐえない私とそっくりな君に捧げるリゼロのダイレクトマーケティングです。

まてまて〜(っ^ω^)っ( ‘o’)ウ、ウワアアァヤメロオオォ

異世界転生もの、または小説家になろうサイトに掲載されていることが多いことから「なろう系」とも呼ばれるジャンルが私は苦手だった。理由は大きく二つある。

まず一つ、世の中の空気感と私の間にあるらしい温度差。

数年前にネット上で誰かが「なぜこんなになろう系小説がヒットしているか」についてブログで考察したものを読んだことがある。その記事ではこう述べられていた。うろ覚えだけど確かこんな感じ。
・なろう系小説における執筆者側の利点
 ①現実世界モノはネタが出尽くした。その道で食べてる小説家は未だに真新しい何かを見出して執筆できても、「小説書いてみようかな」くらいノリの人にとってそれは往々にして大きい壁となり立ちはだかる。なにか斬新な設定を練る必要がある。しかしそんな都合のいい設定なんて閃く能力があるならとっくに現実世界モノで執筆開始できている。それができないからこうして打開策を考えているのに!そこで「異世界」。今でこそ流行りすぎて一つのジャンルとなったが、当時は異世界というだけで存在が斬新。お手軽かつ革新的。ローリスクハイリターン、書き手の間で流行らないわけがない。
 ②異世界という全く新しい別の世界について、現実に存在する社会システムや常識を一切合切無視して描写を一から始めることができるので有識者からの批判が入りにくい
 →専門知識を持ってなくても臆せずに書ける。単純に書く人が増える
・読者側の利点
 現実世界モノが飽和状態へ向かうのに伴い、読書を重ねるなかで読者層の平均的な知識量が増加し、精度が相当高い小説しか心地よく読めなくなったと思われる。それに加えSNSが普及し、専門知識にアクセスしやすくなった。違和感を一度でも抱いてしまえばもう続きは読めない。その点「なろう系」は少なくとも世界設定についてのツッコミはされにくいので、難しいことは考えずに読める。読み手の間でも流行らないわけがない。

といった書き手と読み手の需要が合致した結果の産物なんだそうだ。
話は頷けるところも多いが、当時の私はどうしても納得できなかった。
現実世界を描いた作品もまだまだ面白いものがあるはずなんだ。飽和状態なんて誰が決めたんだ。なんだてめえら読む側も書く側も思考を放棄しやがって。ふざけんな。要は「現実の専門知識ないので難しいこと書けない」に対し妥協した結果じゃねえか。てめえらの創作への熱意に妥協は許されていいのか?!なんて「なろう系は所詮書籍で出てる小説の下位互換」くらいまで嘗めてかかっていた気がする。これは現実世界を描いた小説も好きな自分の歪んだプライド半分、「編集者や出版社も通さず一人だけで描く世界には限界があるんじゃないだろうか」といった社会人老婆心半分、といったところ。(今はそれが必ずしも真理でないことがわかる、というか本当は心のどこかで知っていたんだと思う。なぜなら「なろう系」と「一般的な小説」の関係は「フリーゲーム」と「企業が出しているゲーム」の関係性に限りなく近いからである。ゲームでならわかる。フリーも企業も大好き。下位互換とか上位互換とかそういう次元の話ではなく、それぞれの良さがある。なろう系もフリーゲームも、一人で作れるので、編集者・スポンサーの意見や、売り上げを意識しての読者・プレイヤーへの歩み寄り・・・などと言った大人の事情を全く気にせずに自分の創作へ熱意だけを込めることができるので、好きな人は好き、といったコアな作品を作りやすい土台になっている)


理由二個目。

私はフィクション、特にファンタジーが好きだ。私は架空を架空のまま楽しむのが好きであり、現実でエネルギーを摩耗したときはその架空の世界で架空の景色を見て、架空の感動する話に触れて心を動かして。そうしているうちに現実で具体的に何を悩んでいたかがあやふやになる、まるでぬるい水の中をぼんやり漂うかのような、あの瞬間が好きなのだ。数分後は深呼吸して「明日も頑張ろう」なんて思わせてくれる精神の避暑地みたいなもん。フィクションを「現実逃避の手段」として使うなら、そのフィクションは現実とは絶対に違う、と思わせてくれる相違点が必要だと思う。二つの世界を行き来する足掛かりのようなものである。上手に架空の世界まで思考を持って行けなかったら、休憩しに行ったはずの場所で現実の自分を無防備に自覚なんかしてしまったら。明日の私は誰がやるんだ。それを自覚した瞬間に脳みそはエラーを起こし、急に現実に戻りたくなる。強制帰還である。防衛本能ともいえるかもしれない。虚構は虚構だから良いのであって、お互いにそこの境界線を踏み越えてはならないと思う。じゃないと報われない現実が悲しいだけじゃないか。

ところがどっこい、なろう系の典型的なパターンを論うと以下の通り。

現世では何の取柄もない、あるいは落ちこぼれの人間が、ある日突然何の脈絡もなく異世界に瞬間移動してしまい、最初こそ戸惑うものの、現地はなぜか中世ヨーロッパほどの文明発達度であることが多く、現代での医学的・科学的「一般知識」、異世界の住人にとっては世紀の大発見、を披露するだけで救世主・英雄扱いされ、何の苦労もなくその世界で成功する。

要は社会人全員が一度はやったことがあるであろう「ベッドに寝転がっている時に明日のこと考えたくなくてなんとなく始めた妄想」をそのまま文章化してしまったような設定のもの、つまり似たような経験がある人は読んでる途中でムズムズしてしまうものが多い。最もこの場合、しばらくして「明日も早いんだし寝よう」とかなんとかで早々に切り上げてこの都合の良い冒険は終わりを迎えるわけだが。そう、寝るべきなんだよ、痛い妄想は続きを書くもんじゃない。明日は起きて現実に立ち向かわなきゃならないんだ。なんでそれを小説読んでる時にまで思い出さなきゃならないんだよ。


異世界は境界線を忘れて日常的に入りびたるところじゃない。私がミヒャエルエンデのことを崇拝しすぎかもしれないけれど。フィクションにハマればハマるほど、現実の自分が何なのかわからなくなった「はてしない物語」の主人公BBブックスと同じ轍を踏みそうで本能的な危機感とも言えるんだろうか。

それにしても。自分は特に大した努力もせずに、何も変わらずに、周りの環境だけが変わって、異世界の他人相手に一般常識を教えるだけで救世主扱い?そんなのずるいじゃん。私らが今やってる努力は何なんだよ。クソみたいじゃん。
そんなのキツイじゃん。現実見たくなくて逃げてんのに中途半端に現実を見せてくるんじゃねえ。

そんなわけであれがアニメ化した、これが書籍化した、とか知りはしつつもそこには踏み入れないままだった。自分のファンタジーに対するファンタジーを壊されたくなかったんだと思う。





ここまで前座やで。よく読んだな。ここからやで。



Re:ゼロから始める異世界生活、またの名をリゼロ。

絵面だけ見ると際どいメイド服きたメカクレ双子と白い髪の正統派ヒロインぽい女の子に囲まれてヘラヘラしてるだけの主人公に見えるかもしれない。実際私もそう思ってたし。

アニメ配信サイトにあったから軽い気持ちで見出した。ラノベの英訳ってどうなるんかなっていう好奇心で。そう。本編にはつゆほども興味なかった。興味ない分英語に集中できるかなと思った。あとはメイド服の女の子の見た目は好みだし胸でかいしなんか多少サービスシーンとかないのかな。ないか。っていう下心も2割くらいあった。

そんな考えは序盤の3話くらいで叩き潰された。全然ハーレムしない。やべえこのアニメ。平和なのはキャラデザだけだ。

前述した異世界あるある、一つしか当てはまってねえ。文明発達度が中世ヨーロッパくらい。以上。そこには疫病が流行って主人公のワクチンに関する知識が役立つことも、飢饉に耐えうる植物を開発することもなく、当たり前の知識を共有するだけで爵位を与えられるようなぬるい世界ではなかった。

物語1話、主人公スバルは転生したその日に少し喋っただけの女の子が知らない誰かに殺される。その現場にいただけで口封じとして彼も殺され、目を覚ましたら転生した直後の時間のその場所に立っていた。高校三年生引きこもり、趣味が筋トレで多少運動神経は良くても魔法やモンスターが当たり前にいる世界ではなんの役にも立たず。記憶の中での数分前、ナイフではらわたを裂かれ死んだはずの少年が持っていた唯一の能力、それは死に戻りだった。

アニメを見てるうちに少しずつその死に戻りの条件が明らかにされていくわけだが、ざっくりまとめるとこう。
・死んだら一定時間前まで死ぬまでに体験した記憶とともに意識のみ遡る。どれくらい遡行するかは一度死に戻るまでわからない。
・他殺や自殺といった手段は問わず、死ぬことが条件。死にきってから初めて発動するので、毎回「死に対する本能的な恐怖」を乗り越えたうえで「文字通り死ぬほどの激痛」をきっちり味わう必要がある。
・どれくらい前に遡行するかの指定ができない。また、死に戻った直後にもういちど死んでもリスポーン地点は変わらない。つまりオカリンや綯のように電話レンジで時間指定することも、タイムリープを重ねて長時間遡るみたいなこともできない。味わう苦痛の割に使い勝手悪すぎる。
・また、時間が経つにつれ/何かの条件を満たしたらリスポーン地点が勝手に更新される模様。それを本人は認知することができないので、一度死に戻って初めて知ることになる。いわゆるオートセーブ式。つまり何かに手遅れの状態で更新されてしまった場合は死に戻りをもってしてもどうしようもない。
・死に戻りの能力を持つものは人の嫌悪感や警戒心を本能的に煽る「魔女の残り香」という魔女エキドナと同じ匂い(この世界で魔女エキドナは怪物を生み出した人から忌み嫌われる存在である)をなぜか纏うため、初対面の人からは「魔女の匂いがする」と本能的に信用されず、下手すると憎まれ、愛想良く接していても「魔女の回し者なのでは」と疑われ、命を狙われる原因になりかねない。怪物からは追いかけ回される。
・死に戻りの細かい条件ははっきりわかっていないので、仮に死に戻れる回数に上限があり、それを超えてしまった場合は、もう死に戻れず、犬死にするだけの可能性もある(物語の展開的にはなさそうでも、少なくともスバルはそれを理解・覚悟した上で死に戻る必要がある)

なんだこれ。全然チートじゃないじゃん。シュタゲのハードモードか?こんな辛すぎる世界、死んだ方がマシなんじゃないのかな、皮肉ではなく本心で。


そしてここで「一般人」という設定が生きてくる。スバルは軍事経験もなければ、天才的な頭脳を持つわけでもない。武器は何回でも死に戻れるその身体ひとつだけ。その一点以外はただの高校生に過ぎない。人を助けるためなら死んでもいいなんて、死の苦痛を数え切れないほどその記憶に刻みながらもそんなん言ってのける一般人、カッコ良すぎるじゃん!!!!!


それと、こんだけエグい世界観なのに主人公のスバルが内面も一般的な人間そのまま等身大ですごくいい。好きな女の子を助けるためだけに奔走したり、たまに心が折れたり、死ぬはずの未来を変えたい女の子当人に励まされて気持ちを新たに持ち直したり。そんなことができる自分に悦を感じ、また同時にそれ以外には才能も技術も何もないという劣等感から「一度命を助けてあげた」なんて醜いプライドにずっと縋り付こうとしたり。

これがハマったきっかけ、珍しく現実よりも辛い異世界の話。全然日常ラブコメハーレムものじゃなかった。女の子を助けたからといってあとは全てうまくいくわけでもない。ヒューマンドラマだった。

最初は敵しかいなかったのに少しずつ仲間も増えて、守りたいものも増えて
少しずつだけど成長していく

そんな一期だった。いい最終回だった。

二期は少し成長したスバルが周りに少しずつ影響を与えて、周りの人物たちが今度は変わっていく話・・・だったのかな。エミリアの成長っぷりが本当に良かった。

三期はどうなるんだろうね、まだ制作決定さえしてないけど、、絶対見るよ。

とにかく、私と同じ理由で「異世界転生もの」そのものを丸ごと避けていた人がもしこの記事を見ているなら、リゼロだけは少し毛色が違うからおすすめ、とだけ書いておきます。

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母は頭がおかしいと言われた。教義がヤバい宗教に入信したから。祖父の葬式に出なかったから。擁護者としての立場に存在意義を見出したと言われた。夫婦喧嘩に私を「父親からいじめられているかわいそうな私の娘」として巻き込み、結果私を傷つけたと言われた。

2012年の春、兵庫県にある大学に入学が決まり、そこに通うには奈良県からは少し遠く、かつ一人暮らしの許可は下りなかったので、折衷案として大阪にある母方の祖父母の家に下宿させてもらうことが決まった。

18歳の私はワクワクだった。屋根裏部屋を貸してもらえたからだ。昔子供部屋だったらしい。ということはこの部屋で同じ景色を見て母が育ったんだな、と嬉しくなった。
祖父母との同居はスムーズで楽しかった。洗濯は私が学校に行っている間に祖母がまわして干しておいてくれるので、帰ってきたら私がたたむ。夕飯は作ってもらう代わりに食器洗いは全部私がやる。食後のお茶は私が入れる。ゴミ出しは私が通学がてらやる。買い物で荷物持ちをやる。
朝の早起きはそんなに好きじゃなかったし、奈良から通うよりは近いのでそもそもする必要もなかったけど、6時ごろに起きたら祖父母と同じタイミングに朝ごはんを食べることができるので自発的に起きるようになった。
私の早起きが定着してからは、毎朝みんなでカフェオレを飲み今日の予定を話す時間と、夕食後にひとり一個みかんを消費するノルマが課せられつつ近況報告する時間が勝手にできた。

優しくて温かい時間が流れていった。

私は反抗期だった時に祖父に冷たくあたってしまったことがあり、それをずっと後悔していた。祖父の風呂上り肩を揉ませてほしいと頼んだことがある。肩もみはいい。物理的な距離がどうしても近くなるから。どれだけ気まずくても、肩もみが心地よければ勝手に雰囲気が和らぐから。「きもちええなあ、ありがとう」とつぶやく祖父の背中は随分小さく感じた。私がでかくなっただけかもしれん。でも伝わってるかな。肩もみの力加減とかで。伝わらんかな。私と一緒に暮らしてくれてありがとう。反抗期は終わっていたけどまだまだ青臭いガキだった私は、それを素直に口にすることができなかった。代わりに指先から少しでも伝わるといいなと思いながら肩を揉んだ。


二カ月が経ち、そんなゆるやかで優しい日常が私の一部になりつつあったころ。それは唐突に終わってしまった。私が壊してしまった。

ある日の週末、祖父は畑仕事にいき、祖母と二人だった時、お茶をしながら雑談をしていた。流れで母、祖母にとっては娘の近況についての話になり。当時私は18の世間について何も知らんガキであり。実家に毎週来る優しいおばさんがその宗教の活動家であることの重大さを知らないまま。頻度が昔は月イチ~二週に一度だったのが最近増えてきたことや、昔は玄関先で話していただけなのに今ではリビングにまであげていることを、話してしまった。

教義がヤバいのだ。数ある文章の中、ひとつが祖父の目に留まった。「信者は財産をその団体にすべて注ぎ込むこともある」と書かれていたのだ。


祖父母は大正生まれであり、「長男が一家の財産と責任を継ぎ、嫁はそれを全面的に支える」という考えが根強い。だから祖母が祖父にそれを伝えるのも、それを受けた祖父が私との同居を帳消しにしたがるのも。当然のことだった。




「あの人は一家の財産を守ってきた長男としての使命感から〇〇(母の名前)に対して口では厳しい言い方したし、縁切るまで言ったけど、内心では〇〇のことを父親として絶対に大切にしてるはずで、さらに頑固な人やから、こうなってしまったことに対してあの人自身が一番悲しんでいるはずなんや、やからな悠美、まだ学生で親戚で一番若いあんたに言うのはつらいけど、ごめんな、ごめんやで、でもおじいちゃんとおばあちゃんは悠美や△△(兄の名前)のことを嫌いになったわけちゃう、立場上周りの親戚の目もあるから今迄みたいに仲良くするのがむつかしなってもうただけやねん。悠美は実家に戻ってもわらなあかん状況になっもうた。でももちろんあんたらはなんも悪くないし、悠美の大学が始まって一緒に過ごした二カ月はいい思い出やと思ってる、あんたらはいつまでもおじいちゃんとおばあちゃんにとって宝物や、それはおじいちゃんも同じこと思ってるはずや」
「孫であるあんたらが遊びに来るくらいやったら誰も文句言わへんから、たまには顔見せに来てな、待ってるからな」

帰りの車で泣いてしまった。もう祖父母とは一緒に暮らせない悲しさと、こうなった原因としてだれを責めたらいいかわからない悔しさ、祖父母に宝物だと言われたうれしさ、偉そうにふるまうくせに母が親戚の前で名指しで糾弾されたときに婿とはいえ一家の主なのに何も言ってくれなかったみたいに、肝心な時に一切役に立ってくれない父親への怒り。訳が分からなくなると人間って泣くんやなって思った。でも一つだけ明確なことがあった。あの日私が不用意に口を滑らせたから全てが始まってしまった。親戚関係の悪化、同居の解消、母親が絶縁と実家出入り禁止を言い渡されることにまで発展してしまった。90に近い祖父母を。実の娘に対して。お前とは縁を切るなんて。かなしい、悲しすぎる言葉を。私のせいで。言わせてしまった。

それから私は親戚一同に命令に近いお願いをされた。「今やから家族で頑張ってほしい。父親と兄妹全員協力して母親が”手遅れ”になる前に何とか引き留めてくれ」
初めから不可能だった。そもそも母が宗教に頼らざるを得なくなった原因は絶対に父にある。モラハラと暴力にモノを言わせる人間だった。子供が父に反抗したら子供まで殴った。母はそれをかばってぶたれた。
兄は当時京都の大学院で一人暮らしを始めており、実質私と父が協力しないといけないことを示唆していた。私に対しても暴力を振るってきた父親と肩を組んで、今まで私の平穏を守ろうと自分を犠牲にしてくれた母親を説得するなんて私は。できるわけがなかった。

父が自分の非を認めて協力姿勢になる日なんて。やっと家族の面倒事から抜け出せて一人暮らしを満喫していた兄が、社会的経済的に実家を離れられないスケープゴートの妹を憐れんでヒーローよろしく参上する日なんて。来るわけがなかったのだ。

予想通り父親は「俺は悪くない」の一点張り、自分のことしか考えられない未熟な大人だった。てめえは。てめえの不手際で。嫁と子供をこんな運命に強いたのに。あと10年も生きられないだろう祖父母が生きている間だけでも。自分を偽って家族の問題に尽力しようなんて考えは。脳裏さえ掠めなかったのか。父を憎んだ。今までも憎かったけど違う感情で憎んだ。人として軽蔑した。それと同時にあれだけ怖くてでかくて恐ろしく感じていた父親に対して、人生で初めて「こいつ大したことねえな」と思った瞬間だった。

兄は最初の数カ月だけ”そういうの”から抜け出せた人に話を聞きにいったりしていたが、大学院が忙しいという理由ですぐに元の生活に戻った。「義理は果たした。あとはお前が頑張れ」と言い渡したつもりなのだろうか。

どちらにせよ見えていた未来だった。

ほどなくして予想どおり何の成果も得られないまま数年がたち、祖父は肺炎を患い、亡くなってしまった。


母は「宗教上の都合で葬式には出られない」というまでにのめり込んでしまった。昔は親戚の葬式にはもちろん、父の友人がなくなった時も出席していたのに。実の父が死んでも葬式に出ない。この事実に対して親戚一同はもちろん、私の味方をしてくれていた叔母にまでマジのトーンで頼まれた。「このままではおじいちゃんが報われなさすぎる。おじいちゃんは昔の人間やから参列者が多い。それやのに、血の濃い順に座る葬式の最前列に、婿(父)と子供二人しかおらん姿を見せるのはあんまりや。頼む、葬式の時だけでいい、説得してくれ」

葬式の当日まで毎日泣きながら頼んだ。兄でさえ泣いて頼んだ。でも母は頷かないまま、当日がきて。私は控室で叔母に泣きついた。ごめん。もう私らの声は届かんかった。

すでにもう手遅れだったのだ。同居解消を言い渡されたあの日、ポジティブな部分の私が「崩壊しかけた家庭を戻すきっかけに転ぶかもしれない」と思った。そんな可能性はすでになかったのだ。夢見るだけ無駄だったのだ。


母は頭がおかしいと言われた。教義がヤバい宗教に入信したから。祖父の葬式に出なかったから。最愛であるはずの子供の懇願にも耳を貸さなかったから。無意識であっても、擁護者としての立場に存在意義を見出し、悠美を利用したと言われた。夫婦喧嘩に私を「父親からいじめられているかわいそうな私の娘」として巻き込み、結果私を傷つけたと言われた。


もう疲弊しきっていた私は、そうなのかもしれないと思った。
父も兄も私のことは愛してくれなかったけど、母は違うと信じて生きてきたけど、それも間違いだったのかもしれないと思った。確かに母は明らかに兄のほうを大切にしていた、それは知っていた。でも兄が家を出てからは余裕ができたのか私にも愛情を向けてくれたのかなと嬉しかったけど、「よく考えてほしい」と言われた。その私が愛情とみなしている一部は「存在意義獲得の隠れ蓑にすぎない」と言われた。心理学を学ぶ私に、カウンセラーをしている叔母が。悠美ちゃんは心理学わかるやろうから言うけど、という前提の下で。「だから共依存に陥る前にそれだけ意識してほしい、夫婦喧嘩に巻き込まれる今の関係は正常ではない」「悠美ちゃんを愛してくれてる部分と、悠美ちゃんの中に存在意義を見出そうとしてる部分、悠美ちゃん自身のためにもちゃんと見分けてな」と言ってくれた。もう私はわからなかった。だって父の暴力から守る以外に愛された記憶は、いつも「二番目」だった。一番目はいつも兄。私は兄の「ついで」だった。兄という判断材料が家にいない今、その信憑性を検証するのは至極難しかったし、何より祖父を亡くして間もない当時、母からの愛情らしき何かを疑ってかからなければいけないなんて苦しみ以外の何物でもなかった。母は私が好きだから愛してくれているのだろうか?兄が遠くに行ったからその代替品として?それとも父親からのモラハラには「娘を庇護する理想の母親像」を武装して立ち向かうしかなかったのだろうか?私はそのための道具に過ぎなかったんだろうか。


もう何もわからない。考えれば考えるほど悪い可能性を思いつくし、その中で善い選択肢に縋りたくなる自分が滑稽だった。でも数年前から私の前に、たった一つだけ、立ちふさぐように佇む事実がある。私が生まれたから、私が同居を頼んだから、あの日雑談をしたから、全部壊れて、おじいちゃんを無念のまま死なせてしまって、おばあちゃんにもつらい思いをさせてしまった。

父や兄、そして母からも愛されていないなら。宝物だと言ってくれた祖父母を結果論とは言えあんな目に遭わせてしまうなら。
いっそ生まれてこなかったほうが誰にも迷惑をかけずに、祖父母の余命を邪魔せずにすんだんじゃないだろうか。
母の説得に失敗して葬式が終わり、親戚一同と味のしない夕食を済ませ、家族全員無言で電車に乗って帰路につき、長い一日が終わった。

部屋で一人、目を閉じると祖父の死に顔が瞼の裏に浮かんだ。布団の中で、生まれてきてごめんなさいと泣いた。



それから就職して仕事に忙殺され、二年半後辞めて留学に来るまで、私のこの「やわらかいところ」は祖父が死んだ年で時が止まっていた。

青の祓魔師を久しぶりに読んだ。
そういえば祖父が死んでからは初めて読んだ。以前読んだシーンはもちろん、獅郎の家族ごっこのシーンとそれに伴う燐の心情がヤバい。
あの時じいちゃんの墓に置いてきたはずの「やわらかいところ」をグサグサに刺してくる。

と同時に漫画は良いよなと思った。「大人になった今見ると違って見える過去」を魔法やら忍術やらで簡単に追体験できるから。

燐はいいよな。ちゃんと愛されてたし、その事実を若いうちに目の当たりにできた。
何より雪男がいる。シュラもいる。

私はもうわからない。じいちゃんは死んだし、ばあちゃんはじいちゃんが死んで以来、壊れたカセットテープのように昔の話しかしなくなってしまった。

もうこれ以上ばあちゃんの安寧を脅かしたくない。宗教にハマる前の母のことはもうよく覚えていない。



廉造の信頼性を確かめるシーン。こんなセリフがあった。「家族同然の存在を完全に欺くのは難しい」
母に重ねて読んでしまった。子猫丸が風呂場で雪男に言った。「僕は僕の見てきた廉造を信じようと思う」
私も、私の見てきた母を信じていいのかな。たぶん私が今死んでも葬式には出てくれへんけど、私が死んだら泣いてくれるんかな。留学がんばっておいでっていう言葉は、母親としての本心でくれたんかな。

母も、本当は私が勘違いしてただけで、兄と同様に、無条件で私のことを愛してくれてたんかな。

「あいつら見てるとそーゆー悩みはどーでもよくなる」
とか獅郎みたいなこと思ってくれてたりしたんかな。

燐や雪男たちはお互いのことを「親父は平等に愛してくれなかった」って思ってきたけど、お母さんも獅郎みたいに、そんなことどーでもよくなるくらいの目まぐるしい日々を過ごしてくれたんかな。




漫画とは違って確かめる術はない。今の母に聞いてもその答えを信じていいかわからない。過去の母に直接会って聞くしかないのだ。


今まで、私はたぶん無意識に「誰かから愛情をもらうには学力や人格、何かの才能や技術といった人より秀でた特色になりうる何かを獲得しなきゃいけない」と肩ひじを張っていた。
でも、いいのかな。私も獅郎が言うように「死ぬまでただ生きて」いいんだろうか。

正しい答えなんて何もわからんけど、獅郎が母親の代わりにそう言って私の肩に手を置いてくれた気がした。



シオリエクスペリエンスで胸を熱くするつもりが青エクでまさかじいちゃんと自分に対する感情の整理をすることになるとは。
27歳にしていい買い物したし、買うように私に発破をかけてくれた友人に最大の感謝を。

HAPPY BIRTHDAY TO ME
06.05 (Fri) 11:30 [ 未分類 ] CM0. TB0. TOP▲

性別について書いた記事に引き続きまして、こちらも赤裸々を地で行く記事となると思います。不快な人はそっ閉じするのじゃぞ



悪気のない友人たちから、26歳で本当に恋愛経験ないの???性欲とかないの???って聞かれることが増えてきたのと、最近いろいろと考えを整理する機会に恵まれたこともありまして、この記事では人生において恋愛と呼べるのかよくわからんエピソードたちを言及していきたいと思います。

初恋(仮)として挙げられそうなものをひとつ。幼稚園年長の時に、一つ年下の男の子がなんとなく好きだった。
幼稚園生なので上下級生の付き合いは無いに等しく、会話した記憶はほぼない。なんとなく好きだっただけで、特に何も進展しないまま、それを良しとしたまま、卒園。
今思うとめちゃくちゃ顔が兄に似ていた。お互い公立に進学したので、中学の時に成長したその男の子を見かけたけど、本当に何も思わなかった。ちなみにブサイクになっていた。(失礼)

続くこれが恐らく初めて自分の中で「あ、好きだわ」と言語化できたエピソード。小学二年生くらいの時、よく12歳上のいとこ(女)に遊んでもらっていた。ここだから書くけど、内輪を贔屓して褒めているのではなく本当に美人。そこそこ身長あるしめちゃくちゃ胸が大きくて、童顔。遺伝子どのへんが被ってるんやろうっていうくらいのすごい人に、遊んでもらっていた。うちは親が兄弟5人いるので親戚が多く、かつうちの両親は晩婚で、我が家は兄と私の2人なので、必然的に私が1番年下で、そのいとこは年長で、親戚イベントの度に面倒を見てもらっていた。宿題見てもらったり、一緒にゲームしたりした。
ある日、いとこ宅に泊めさせてもらった。同性なので、というよりも兄含め幼かったので全員同室でごろ寝。私はたしかそのいとこの隣だった。これもここだから書くけど、今でも覚えているのが、巨乳の女の人が部屋着Tシャツで横になった時の破壊力は本当にすごい。第二次性徴のきっかけになったかもしれない。なぜかというとどういう理由か私は横で寝るいとこを見てドキドキしていたのだ。
気付いたら好きになっていた。幼すぎて逆に自分が同性愛者かどうかの疑いや悩みは頭を掠めもしなかった。
ただ、幼いながらにいとこにはいとこの人生があり、親戚の私がそれを踏み越えてはいけないということは自覚しており、誰にも何も告げないまま、たまに遊んでもらい、ついには恋愛感情が薄れ、憧憬の延長線上だったことに気づいた。
旅行行ったりアニメイトカフェ行ったり、なんなら卒論切羽詰まってた時1ヶ月くらい泊めてもらうくらいには今でも普通に仲がいいけど、もちろんあれから恋愛感情は一切なし。

小学六年生くらい
同級生のサッカーが上手いいじられキャラを好きになる。これは多分顔より人柄で好きになった。あとは身長が近かったので背の順で並んだ時とか喋ったり、その様子を見ていたのか当時の担任がなにかしら私たち2人に絡んできたりしていたことも要因の一つかもしれない。
うっすら覚えているのは同級生の女の子に、その子がその男の子を好きであることをこっそり教えてくれたのちに「こういうのは相手が選ぶものだから一緒に頑張ろうね」ってめちゃくちゃピュアなこと言われて感動したことがある。今思っても出来たやつだな君は。世の中のストーカーたちに教えてやれ。

この辺りで当然第二次性徴は迎えており、性別が何たるかもわかっており、好きな人には告白して相手がOKだったら付き合えることも知っていたけど、なぜか告白したいとさえも思わなかった。
時間が経つにつれ、これも憧れの一種なのかなと思い始めた。
結局中高と同じところに進学して、なんと大学受験期の予備校も同じだったんだけど、その頃には恋愛感情は無くなっていた。今では連絡先すら知らない。身長は多分私より高い。

中三の夏に夏期講習と冬期講習だけいってた塾のバイト講師を好きになりかけるも、中三なりにこの手の告白はよくあるんだろうなと冷めた姿勢で構えていた。
真冬の駐輪場でのある日、自転車を停めていたら偶然その講師に出会い、なぜか私の人より小さい手のひらに目が止まったのか、手のひらの大きさ比べっこイベントが突然発生し、「手ぇめっちゃ冷たいな?風邪引きなや」って言われた時は流石にマフラーの下でにやけたりするなど、ひっそりとこの状況を楽しんはでいた。想うだけなら自由。告白の衝動が湧かない片思いに慣れてきたのかもしれない。
卒塾とともに未練なく終了。ここで「異性の手を握る」経験値ポイントを5くらい獲得した。

高三まで何もなし。高三の前半、音楽の趣味がやたらとあい、かつめちゃくちゃ頭のいい同級生のことをちょっと好きになる。
どれくらい頭がいいかと言うと体調のせいで昼過ぎからよく学校に来てたのに、残り3分の1となった数3の授業、発展問題解いてる時に登校してきたのに、時間内に解き終わっていた。すげえ
イン・フレイムスとか貸してくれた。私はたしか椿屋かランクヘッドなんかを代わりに貸した気がする。
その人とは出席番号の関係上、2列になった時に隣になることが多かった。同級生としては割と仲いい方だったと思う。
ここに来てもぼんやりとは好きなのに告白したいとは一切思わず。

とち狂ったのか高三の後半に今度は同級生の女の子を好きになりかける。期間は短かったけど思い出は深い。相手は私よりも身長の低い子で、めちゃくちゃ色が白くて、一見ぶりっ子に見えるのに中身は女海賊のようなドライな女の子だった。私のことを独特のあだ名で呼んだ。漫画で見かけた「女子にあだ名をつけられた…!」と慌てふためく童貞のシーンに心から共感した。
私が通っていた高校の最寄り駅とその周辺は野良猫の多さでちょっと有名で、かつ私はなぜか猫から興味を持たれる体質のようで、真冬のある日、気付けば私は足元に猫3匹をまとわりつかせて電車を待っていた。その日の夜、片想い中の女の子から急にメッセージと写メが届いた。写メには猫に絡まれてぼんやり立っている私が映っていた。どうやら猫に絡まれてる私に癒されて我慢できず反対側から盗撮し、帰りの道中癒されていたそう。謝罪とお礼を言われた。なんて可愛らしい色白ギャルなんだろう。そんな君に私が癒された。
この時にはバイセクシャルやレズビアンについて、またその知名度の低さも知っていたので、当然ながらまたもや誰にも何も告げないまま。何より、私はこの猫エピソードのような、こういう空気感というか、刹那めいた何かをその人と共有することに重きを置きたかった。告白なんてしてしまったら良くて付き合う悪くて絶縁、何かしらの形へと関係が変わってしまう。それが嫌だった。定義などせず、曖昧な暖かくて柔らかい何かのままでいたかった。いとこへの恋慕が頭をよぎった。私はバイセクシャルなのかもしれないと思った。

そしてなんとびっくりそれ以来一切合切恋愛もしくはそれに準ずるものを経験していない。8年経とうとしてる。え?まじで?

そして半年ほど前にXジェンダーであることを自覚し、バイセクシャルなのかどうか悩んだこともあったけどそれ以前に自分の性別がわからん状態での異性愛の定義とは?という結論に至り、再度思考を休止した。

どうやら私は一方的に好きになるのは良くても、相手から好意を向けられたくない、相手と自分が性的なことをする関係になりたくない。
だから断られる勇気がなくて告白できない、というより、告白して関係を変えようとする行為それそのものに抵抗がある、という説明が正しいというところに落ち着いた。

ところが最近とある漫画を読み、そのなかの登場人物の心理描写にめちゃくちゃ納得したことがあり、ついにたどり着けたかもしれない、「デミセクシャル」
それまでは自分のことをアセクシャルなのかと思ってたんだけど、多分違う。恋愛漫画もフィクションだと割り切ってるとはいえそこそこ楽しめるし、エロい動画とか見るとまあ興奮はする。なにより、感情の種類は怪しいとはいえ、紛いなりにも上記のように片思いをしたい経験は、ある。
アセクシャルはどうやらそういう自己完結するような恋愛的や性的な欲求も多くの人は持たないらしい。

デミセクシャル。これが1番近いのかもしれない。
兄と仲良かった時に兄と似た男の子を好きになる。沢山関わってくれたいとこを好きになる。友人として仲を深めてから同級生を好きになる。そこに性別はあんまり関係しない。

恋愛関係や性行為を想定して人を好きになるのではなく、人間としての親愛の果てに相手が望むならそういうこともありかもしれない。というのが定義のよう。
※詳しくはここを見てください

かもしれない、だけで未だにわからない。まだ経験値は5ポイントしかないのだ。でも、わからんなりに、地図を手に入れようとしたり、その地図をアップデートしようとしたりし続けることは多分悪いことではないと思う。

(とある漫画、については人を選ぶテーマかと思うので、聞きたい方は聞いてくれれば個人的に教えます。)
シドニーに来てほぼ1年が経った。


今日はアメリカの友達(日本語勉強中のネイティブ)と友達(日本語一切わからんネイティブ)を混じえてLINEで通話してんけど、その人に英語勉強してどんくらいか聞かれたから日本の教育除いて真面目に喋りだしたのは1年くらい言うたらめっちゃ驚かれて私のスピーキングと発音の習得の速さをベタ褒めしてくれたみたいで、本当に嬉しかった。

私凄いやろって自慢したくてこの記事書いてる訳ではなくて、

元から英語喋れたり、日本にいたまま英語を独学で学んで英検1級まで登りつめたり、私の周りは私よりもっと英語出来るすごい人しかいなくて、自分の成果過小評価しがちやったから、
こうやってたまに自分の道のりをネイティブから褒められるのはマジでやる気出る…ありがとう。ってのを書き記しときたかった。

マジのトーンでGenuinely great 言われた。嬉しい。
凹んだ時にこの記事見て元気出そう。意外と成果出てるぞっていう意味で。

てかそもそも、今までの自分を思えば普通に考えて英語(しかも先生よりは速いし砕けてる英語)だけで数時間雑談できるようになったのは自分で自分を褒めてあげたい。
最近は自分のリズムが合わなくてたまに休んでまうけどなるべく学費は無駄にしたくない。1ミリでも広く、1gでも重く、英語喋れるねんって胸張れるくらいには上達させたい。

将来のために英語勉強してるけど、趣味の面ではいつかネイティブとオンラインで喋りながらゲームするのが夢言うたら、オンラインゲームの相手するよって即答してくれた。秒で夢叶うやん。素敵。
知り合ったのはTwitterやから正直ここまで仲良くなるとは思わんかった。ええ時代に生まれたなあ。
日本で会うのが楽しみやなあ。
10.26 (Sat) 20:06 [ 未分類 ] CM0. TB0. TOP▲
本当に赤裸々に書きます。もし気分を害したらその時点で読むのをやめてそのままそっ閉じするのじゃぞ

まず現在の自分について

・自分に対して精神面で女性的なところがあるのかは未だにわからないけど、肉体的な性別に対して(体のラインを鏡で見る・下着をつける・生理が来るなど)違和感は特にない。

ただ、以下の理由により自分の精神性は極めて男性に近いと思う。

・女性の晴れ着を着たいとは思わないし化粧も好きではない。そもそもかわいい服やレディースを自分から着たいなあと思うのは年に数回以下。ドレスやスカートのスーツよりネクタイを締めたいし、ふんわりスカートやピンヒール、ミュールよりはジーンズやゴツめのブーツ、スニーカーを履きたい。
・このように内心では男性の服を着たい日が圧倒的に多いが、自分の身長の低さや顔つきもまあ理解して受け入れてはいるので、結局間をとって中性的な服に落ち着く。身長がそこそこあったら性転換まではしないけどホルモン剤投与してたかもしれない。わからんけど。とにかく、美人でもない155センチが完全に男装して筋肉質になっても滑稽なのはわかるので何もしない。(決して低身長の方が性転換することに対しての批判的な意見ではなく、私の性別的な部分が何を優先して・妥協して行動しているか(自己同一性<他人からの目線)、私の性別はどうやら融通の効かせられるものらしいという話)
・スカートは膝丈より長くてタイツかストッキングがあれば履ける。膝丈より上は無理。素足も無理。同じ理由でホットパンツも無理。同じ理由で女性的なデザインの水着も着たくない。(かと言ってジェンダーニュートラルの水着はクソダサい)
・でも女性的な服を着たい時も数ヶ月に一度以下ではあれどあるっちゃあるので、その日だけは女性でよかったなと思う。(男性が女装するよりは驚かれないから)
・スカートや化粧は、必須である(それが適切である)場合はちょっと嫌な気分と共に対応できる。
・でも普段はしたくない。
・たまに、好きな友達(友達としてであっても)と遊ぶとき、自分のテンションを高めるためにすることもある。
・髪の毛は絶対にショートヘアがいい。(でも最近髪の長い男性も普通に居るしこれはただの好みかも)
・身体が女性であることは今のところ受け入れてるので、女風呂や女性用トイレの使用は特に違和感がない(多分男性と違って完全個室なのもあると思う)。見られるのはちょっと嫌だけど別に平気。親戚とは温泉旅行に行けるけど友達とは行きたくないなくらい。

自己へのイメージ
・私の身体が透明な女性の形をしたマネキンのような入れ物(=形は変わらない/変えようとは思わない)だとしたら私の中身はよく色が変わる液体であると捉えている。例えば男性を青色、女性を赤色とするなら、基本的には青に近い紫(※完全な青ではないのがポイント)であることが多い。特に勉強や仕事に集中している場合。もちろん日によって青に近い紫の色の濃さが変わるし、中立的な紫になる日もあれば、たまに赤色に近い紫(※完全な赤ではないのもポイント)の日もある。

じゃあもし、男性に恋をしたら果たしてそれは異性愛と呼べるものなのか?!呼び分ける意味はあるのか??
私がいちばんわからない!笑

両性/中性で得してるなあと思うとこ
・漫画でどのジャンルのものも平等に楽しく読める、性的コンテンツもどっち向けのものも楽しめるのは両性でよかったなと思う。感覚としては男性脳でありながらも乙女ゲの良さがわかる感じ。(見た目は逆なのに文字にすると滑稽)
・Xジェンダー自体がまだ真新しい捉え方なので、X同士の仲良くなる早さが異常に早い。友達を見つけるのは難しいけど、仲良くなるのは難しくない。Twitterで仲良くなったアメリカ人のライターと今度日本で観光案内したあと焼肉つつくことになった。ものの数日でこの流れ。行動力な。ウケる


損してるなあと思うとこ
・未だに自分に合う服が分からない。着る服に永遠に悩まされるのは嫌だなあと思う。
・同性の友達と喋っててもたまに違和感を抱くことがあるのはつらい
・上述したように精神は男性に近いので、男性との友情を成立させていきたいなとは思うけど当然相手が異性愛者であることが多く、友情を発展・維持させるのが難しい
・結局男性にも女性にもなりきれないので、誰とも分かり合えない孤独な感覚が抜けない
☆ただ最近はこの辺に関して、「性別以前に基本的に他人である限り永遠に分かり合えないんじゃね?自分のことしか分からなくね?」の境地に至りつつあるので、その辺のもやもやは薄れつつある

未だにわからないとこ
・青色と赤色の流動するタイミングが謎
・恋愛対象がわからん。というかそもそも恋愛に興味が今はない。
・今後恋愛に興味を持てるのかもわからない。


自認した経緯

・完全に自覚したのは2ヶ月前、ミートアップでたまたまXのカナダ人女性と喋ったこと。めちゃくちゃ話が合った。性別に対して寛容な国であるカナダで育った彼女の経験や価値観を聞くうち、自分もそうであることがわかる。
・一応それ以前から自分もそうなのかな?とネットで得た情報から感じてはいたが確信しきれなかった


という感じです今のところ。思うまま書きなぐったので今後適宜加筆修正するかもしんない。